こんにちはHiroです。
早くも12月が
半ばとなりましたね。
テレビを見ていても、
もう2017年の振り返りが
始まっているようです。
あなたにとって
2017年はどんな年でしたか?
僕にとっては
知らなかった自分を発見し、
そして、
その先の世界で混乱している、
そんな一年になりそうです。
病気のカウンセリング
をしていると、
自分のことを
話しているのになんだか
他人事のように話す方が
結構います。
話の中に
生々しい感覚がないとでも
言うのでしょうか、
どうも無機質なものに
聞こえてくるんですね。
自分自身の感情と
向き合ってしまうのが
怖いかのように、
あえて外側から
眺めようとしている、
そんなふうに感じるのです。
T.O.さんもそのように
感じられる方の一人でした。
★☆──────────────────☆★
こんばんは
Hiroさんとの
会話を思い起こしていて、
いろいろ考えたことが
あります。
今でも私は罪悪感を手放せず、
後生大事に握りしめています。
若いころ私が潰した後輩が
当時の私は大嫌いでした。
何も喋らないヤツ
↓
自分
↓
無価値
↓
この会社にいらない
「仕事を用意してください。
お願いします。」
最後に意を決して
言ったのでしょう。
それでも私は
仕事を与えなかった。
Hiroさんには、
「仕事を取られたくなかった」
と言ったのですが、
それしか
思いつかなかったのですが、
どうもしっくり
しませんでした。
そうではなかったようです。
今から考えると
自分がもっと若かったころ、
必要なことさえ
話せなかったころ、
あの頃にそっくりだったから、
そんな自分が
大嫌いだったから、
思い切り意地悪をしたかった。
彼の希望をかなえてあげず、
当然ながら彼は辞めて
いきました。
あの時、
後味の悪い思いはしたものの、
罪悪感を意識して
いませんでした。
多分長年かけて育ててきたんです。
今日、
記憶を思い起こしていて、
ものすごく胸が痛かった
^^^^^^^^^^^^^^
んです。
あの時の彼の気持ちが
わかる気がするんです。
何となく嫌な気分だったけど、
悪いことをしたという
意識はなかった。
今は違います。
随分ひどいことを
したんだなと後悔しています。
罪悪感を
手放しちゃいけないと
思ってしまうんです。
許してしまったら、
そういう行いを全部認めて
しまうような気がして。
それでも手放さなければ
前に進めないのなら、
時間をかけて
少しづつ許して手放して
いこうと思っています。
今日は(も)泣きました。
出かけようと
思っていたのに、
夕方まで寝ていました。
些細なことと
思っていたことが
重大な事件だったのですね。
今はまだ考えが纏まらず、
ただ時間が欲しいなと
思っています。
自分とじっくり向き合うって、
こういうことなんですね。
ようやく実感しました。
★☆──────────────────☆★
自分が何を感じているのか
わからなくなることを
内的不感症といいます。
自分の感情が
わからなくなるので、
何をやりたいのか、
何が嬉しいのか
わからなくなって
しまうんですね。
ただ感情を
認識できなくなるだけで、
無くなってしまった
わけではないんです。
忘れたことに
された感情はなんとか
外に出ようと
病気という形で
出てくるのです。
ですから、
罪悪感を感じてきた、
ということはとても
良いことです。
ご本人が
言っているように
自分とじっくり向き合う
ことが出来始めましたね。
これは回復への大きな一歩です。
病気とは
自己表現の一種です。
別の方法で
表現できれば、
病気である必要は
なくなりますね。
あなたは本当は
何を表現したいのでしょうか?
こんなはずない!
という怒りでしょうか?
愛して欲しい!
という悲しみでしょうか?
愛している!
という喜びでしょうか?