おはようございます
ヒロです。
暑い日が続きますね。
冷たい物を飲みながら
優雅に読書をと思ったら、
冷たすぎて鼻の奥がキーンと痛い!
以前はこんな事なかったのに、
これが歳を取るという
ことなのでしょうか(>_<)
私たちは日常的に
色んな言葉を使いますが、
その言葉は無意識に
使っていますね。
その日常的に
使っている言葉の定義を
考えたことありますか?
これからたまに
言葉の定義について考えて
みたいと思います。
今回は、
以前クライアントさんと
話していて気になった
「いい人」について
考えてみたいと思います。
「いい人」と言うと
あなたはどういう人のことを
思い浮かべますか?
優しかったり、
思いやりがあったり、
寄り添ってくれたり、
明るかったり、
励ましてくれたり、
褒めてくれたり、
力になってくれたり、
愛情あふれる人
だったりしますか?
もしかしたら、
この他にもいろんな定義を
している方がいらっしゃる
かもしれません。
わたしはこんな人が
「いい人」だと思うという
意見がありましたら
是非教えてください。
さてそれでは、
どうしてそれらの人を「いい人」
と感じるのでしょうか?
どのような基準で
その人を「いい人」だと
考えるのでしょうか。
それは
世間一般の基準かもしれないし、
社会常識かもしれないし、
自分の信念を基にしている
のかもしれませんね。
いずれにしても
人は自分にとって都合のいい人を
「いい人」と表現するのでは
ないでしょうか。
なぜなら、
なんだかんだいっても
人は快楽を欲しがります。
いろんな理由をつけながらも
結局は自分のエゴを満たしたい。
自分にとって
快楽と感じられることを、
あたかも事実だと認識する
ようにできています。
たとえ表の意識では
それが快楽だと認識して
いなくてもです。
ちょっと
前の記事で書きましたが、
相手が「いい人」なので、
頼み事を断りにくい、
という方がいました。
この人にとって
断りにくい相手の方は、
何らかの形で自分の快楽を
満たしてくれる人なんですね。
だから「いい人」だと解釈するし、
その快楽を失いたくないから
断れないということも
起きてるわけです。
では、
このまま自分の快楽を
満たしてくれる人を「いい人」
と定義していていると
どうなるのか。
安直な感情や快楽に
振り回される人生になる、
ということです。
そういう人生こそが素晴らしい!
という方はそれでいい
と思います。
しかし、動物のように
本能だけで生きるのではなく、
より人間らしく
使命を果たそうとするには
どうしたら良いでしょう。
僕のお勧めは
自分なりの定義
をしておくことです。
安っぽい本能を
満たす快楽のためではなく、
人生の目的に基づいた「喜び」
が得られる定義です。
快楽を求める「本能」を超えて、
自分の意志で
「生き方」を決められるのが、
人間の人間たる所以です。
人間である以上、
人間らしい生き方を
したいですよね。
ちなみに僕の「いい人」の定義は、
自分が不利な
状況になるにも関わらず、
使命のための行動を取る人、
です。
ここでいう「使命」とは
自分の思いだけでなく、
第三者や社会を含めた
大いなる目的のことです。
こういう人は中々いません。
もちろん僕だって程遠いです。
でも、
ほんの数人ですが、
このような人を知っています。
彼らは
特別に愛想が良いわけでも、
人当たりがいいわけでも
ありませんし、
厳しいこともあります。
しかし、
表面的なことに惑わされず、
人間という存在を信じている
と感じさせてくれます。
あなたは「いい人」
をどのように定義しますか?