おはようございます
ヒロです。

 

 

最近はどこへ行くにも
カメラを持ち歩いています。

 

 

子供とラーメンに
行ったときのことです。

 

 

子供の目に良い光が映っていて、
とても綺麗だったのでサッとカメラ
を取り出しました。

 

 

いざ撮影しようとしたところ、
子供の目に映っていた光が
消えてしまいました。

 

 

もうちょっと前に出て、
いやいや後ろだよ、

としばらく繰り返したところ、

「もうラーメン食べさせて」
と嫌がられてしまいました(^_^;)

 

目に映る光にとらわれて、
どのような写真を撮りたいのかを
忘れていたことに気づきました。

 

 

いつもクライアントさんに
d手段と目的が入れ替わっていますよ〜

 

と言っているのですが、
自分がやってしまいました。

 

 

 

さて今日は、綺麗な事ばかり言う人
についてのお話です。

 

 

時々クライアントさんで
いらっしゃるのですが、

お悩みがあると言いながらも、
結局は悩んでいない、

という結論を自分で出される。

 

 

あ、
自分は本当はちゃんと
気づいているんです。

 

問題ないんです。

 

 

とすでに卒業しましたという
ポジションを取ったりもします。

 

 

本当に悩んでいなければ
良いのですが、

実際にはごまかしている。

 

 

しまいには、
全ては愛ですよね?とか、

 

世界は夢や希望に
あふれていますよね、

 

「世界が平和で
 貧困や飢餓が無くなりますように」

とか言い出します。

 

 

正直に言うと、
この手の発言には違和感
しかありません。

 

 

本当にそう思っているならば、

愛に満ちた活動をしていたり、
貧困をなくすための行動を
取っているはずです。

 

 

別にこういう人を
責めているわけではありません。

 

 

もっと、
正直になればいいのにと
思うのです。

 

 

きれいなことばかり言う人は、

本当はその裏で
どうにもならない絶望感のような
ものを感じているんです。

 

 

絶望したり、
ネガティブな感情を持っている
自分はいてはいけない、

そんな風に思っている
のかもしれません。

 

 

だから、
綺麗な言葉で隠しておかないと
いけないんですね。

 

 

こうやって隠し続けていると……

 

 

裏に隠している絶望感が
もっと大きくなっていきます。

 

 

そして、
その絶望感に沿った現実が
起きてきます。

 

 

なぜなら、
綺麗な言葉とその裏にあるものは
対になっているからです。

 

 

表と裏でワンセットに
なっています。

 

 

表で光を強く求めれば、
裏の影もそれに呼応して
もっと強くなります。

 

 

絶望したり、
ネガティブな感情を持った自分

はいても良いんです。

 

 

時には思いっきり愚痴ったり、
不満をぶちまけて

そんな自分を表現してみるのも
いいですね。

 

 

言霊とか気にする人もいますが、
関係ありません。

 

 

ずっと裏側にとどめて
おくよりはマシです。

 

 

一度表に出して正体がわかれば、
そこに対処することは出来ますから。

 

 

綺麗な言葉ばかり
使っているとしたら、

その裏にどのようなことを
隠しているのでしょうか。

 

 

隠している絶望感や
ネガティブな事を表に出しましょう。

 

 

自分の中の闇を
表に出して認めたと同時に、

自分の中に
光を芽生えさせ始めます。

 

 

あなたが本当に欲しいのは
どちらでしょう。