こんにちはヒロです。

 

 

HDDが壊れました。

 

 

やってしまいました。

 

 

つい先日までMacとHDDの
両方に保管していた写真データでしたが、

Macの容量が足りなくなってきたので、
思い切ってMac内のデータを削除しました。

 

 

子供の写真だけも別のHDDに
バックアップを取らなくてはと思いつつ、

後回しにしていた矢先の出来事でした。

 

 

子供の成長記録が……。

 

 

子供に謝りましたが、
本人はあっさりしたものです。

 

 

「僕はいいけど、
 お父さんのほうがショックでしょう……。」

 

「・・・・・・」

 

返す言葉がありません。

 

 

バックアップを後回しにしていた、
そんな自分が許せません!

 

 

 

ということで、
今回は「許し」についてのお話です。

 

 

「理想の未来」を得るためには
「過去の囚われ」になっている出来事をよく見て

理解すること、でした。

 

 

詳しくはこちらの記事を御覧ください。

https://hiropist.minibird.jp/hp/2020/07/29/7545/

 

 

 

「過去の囚われ」をよく見て理解する
ことの一つに「許し」があります。

 

 

スピリチュアルや自己啓発の世界でも
「許し」は大切だと扱われています。

 

 

あなたも一度は「許し」について実践
しようとしたことがあったり、

話を聞いたことがあるかもしれません。

 

 

そして、僕が知っている限り
かなりの高確率で「許す」ことに失敗しています。

 

 

「どうしても腹が立って、親を許せません」

 

「許すくらいなら死んだほうがマシ!」

 

 

など……。

 

 

書店へ行けば、「許し」について
書かれた本がたくさんあります。

 

 

「許し」専門の個別セッションやセミナー、
講座などもたくさんありますが、

どうして「許す」ことができないのでしょうか?

 

 

それは、
「許し」の感覚を間違えているからです。

 

 

あなたは「許し」が起きると
どのような感覚があると思っていましたか?

 

 

多くの人が
「許し」が起きたときの感覚とは、

「スッキリ」した感覚をイメージして
いるのではないでしょうか?

 

 

もしくは、
許せないと思っていた相手と完全に和解して、
何なら相手のことを愛おしく思えるような、

幸せ感に包まれた感覚。

 

 

そんな感覚を期待している、
クライアントさんと話をしていると
そう感じます。

 

 

実際、
僕自身も同じように信じていました。

 

 

以前に出たセミナーでも、
「許せるとスッキリして気持ちいいよ〜」

なんてことを言われたように
記憶しています。

 

 

ですので、そういう感覚を持てない限り、

まだ自分は「許せていない」と
自分を責め続けていました。

 

 

しかし、実際のところ
「許し」というのは「スッキリ」とは
全く違う感覚です。

 

 

にもかかわらず、
僕は「スッキリ」することを求めていました。

 

 

これでは「許し」が
起きて来るはずありません。

 

 

こうした「許し」に関する
間違った感覚が拡散されているのはとても残念ですし、
業界としても大きな問題です。

 

 

ワクワク系に代表される間違った理想の偶像化が、

悩める人たちを餌食にしたビジネスに
なりやすいからというのは言うまでもありません。

 

 

ワクワク系で本当に
幸せになれるならそれで構いませんが、

言葉で出来た世界の原理的からみても
いつか崩壊が来ます。

 

 

「わたしは母を完全に許していて愛しかない!」

 

 

とうそぶいていた
ワクワクキラキラ系の人も、

身体にはガンという形で母に対する
許せない怒りが出てきました。

 

 

セッションでそこを取り扱ったところ、

「自分を愛してくれない母への復讐」
でガンをやっていたことに気づきました。

 

 

ここに気づいたことで治療方針も変え、
医師も驚くほどの回復を見せます。

 

 

このことから、

高いテンションで
「愛している」を連発したところで

「許し」になっているとは限らない
事がわかります。

 

 

 

そもそも「許し」が
必要なのはどのような場面でしょう。

 

 

当然ながら「許せない」事があったのです。

 

 

本当に「許せない」事はどこまでいっても
「許せない」のです。

 

 

「許して楽になりたい」

 

「いやいや絶対に許せない、許したくなんかない!」

 

 

だから、苦しむわけです。

 

 

逆に考えると、
これだけの苦しみがあるということは、
そこには意味があるからとも言えます。

 

 

その「苦しみ」が教えてくれる意味を
「理解」することが「許し」の道へ
と繋がっていきます。

 

 

「許し」の感覚とは「スッキリ」や「苦しみ」
とは同列ではありません。

 

 

それを超えた感覚です。

 

 

正と負の感覚が同時に存在する
アンビバレントな感覚とでもいうのでしょうか。

 

 

「過去の囚われ」から抜け出す、
そのために過去を「許す」には、

まずは「スッキリ」を求めないこと、
「苦しみ」から逃げるのをやめる

ことです。

 

 

さぁ、そろそろ
「スッキリ」や「苦しみ」といった下位の感覚から、

「許し」「理解」という上位の感覚で
生きる選択をしましょう。

 

 

時代はわたし達に
それを求めていると思いませんか?